実感 [武道]
ふと、以前、武術雑誌で読んだ軸を作る要素のことを思い出した。
たしか、「レッシュ理論」と言ったと思うが、
その中の「5ポイント理論」だった。
簡単にいうと
人体の5つのポイントのうち3つ以上のポイントがつながれば軸ができる。
言うものだった。
その時も、なるほど と感心したが
最近の稽古のなかで、あらためて軸の構成ポイントを実感している。
「冷暖自知」、やはり実際に身体で実感すると違うな。
こう実感できるのも、立禅を続けてこそ。。。感謝です。
痛み その後 [病]
身体の痛みのその後だが。。。
手指の痛みは
横方向に負荷がかかると痛む。
胸の激痛は
原因不明のまま、ときどきレントゲンで経過観察中だ。
現在痛みはほとんど起きないが。。。いつ起きるが不安は残る。
だが、俺のからだなんてこんなものかもしれないな。
このぐらい悪いほうがちょうど良い。。。
農作業開始 [日々の出来事]
今年も、共同農作業に参加する。
今日は、2回目の農作業です。
前回は、畝をつくりサトイモとジャガイモの植え付け。
サトイモにはマルチをかける。
そして今日は、ジャガイモの芽かきをする。
さらに畝をつくり、茄子、キュウリ、ピーマンの植え付け。
収穫の日が楽しみである。
帰りに、去年の秋、植えた長ネギを収穫して持ち帰った。
今年も、農作業を楽しめそうです(~o~)
人は [つぶやき]
「人は 見たいものしか 見ない
人は 信じたいものしか 信じない」
自分もその一人かもしれないけど、
「見たいもの以外にも ほんとうはあり
信じたいもの以外にも ほんとうはある。」
そのことを、忘れてはいけない。
わかろうとすることが [つぶやき]
わかろうとするから、難しい と嘆く。
わかろうとすることが、物事をわからなくする。
わからないということを認めることが、知識を無限に引き出すことができる。
武道・武術とは、そういうものかもしれない。
太極拳も、しかり。。。
餅を練る [つぶやき]
知識は必要だけど、やたら知識ばかりをあさるのは、やめようと思う。
情報や知識は、ぴんからきりまで限りなくある。
得た知識が、たとえ理にかなったことで、わかったつもりになっても、
身体が知らなかったら、
身体がわからなかったら、
それは 「絵に描いた餅」 にしか過ぎない。
餅は、蒸し方、こね方、つき方を知っても
絵に描いたんじゃ腹の足しにもならないものな。
実際に、蒸して、こねて、つかなきゃ 「本物の餅」 は出来上がらない。
身体という餅を練って、身体がわかってくる。
うまい餅をつこう~
だけではない [武道]
緩み、ファンソン、リラックス、脱力・・・・・
言い方はいろいろあるけれど、
ある人たちは、「すべては、ただひたすらファンソンすること」と言う。
まだまだ何も出来ていないけど、
でも武道は、
ただひたすらファンソンが必要なのは、心。
身体は、ただひたすらファンソン だけではない。
と、今の自分は感じている。
太極拳へのつながり [太極拳]
自分が武術の稽古をしていくことで、身体が知ったことのなかに
太極拳の動作のつながるものがあるのを感じており
その意識・感覚を太極拳に取り入れている。
だが、この意識は太極拳をする誰にも言うつもりはなかった。
ところが、
ある人が孫式の歩法の闊歩が、意味がわからないと言ってたので、
はじめは黙って聞いていたのだが
(つい魔がさしたのか)少し自分の意識・感覚を説明して動いて見せてみた。
すると驚いたことに、「それだと思う!」と、練習をはじめた。
自分が、一年以上かけて感覚をつかみ、曲がりなりにも使えるようになったものを
当然、説明を聞いて見たからと言ってすぐにできるわけはないのだが、
自分の周りの太極拳をしている人の中に、
武術でつかんだものを太極拳に繋げた意識に、理解を示す人がいるとは思わなかった。
自分はもう表演することに興味はないが
自分が武術から得た感覚を少しでも参考にしてくれれば幸いである。
身体に良くないもの [太極拳]
「基本的には、太極拳は 身体に良くないもの」
そういう考えがある。
武道・武術も、スポーツもである。
自分はこの言葉は、ある意味で真実ではないかと思う。
武術で勝敗を競う、スポーツで競技する、表演で優劣を競う・・・・
いずれも他と競う、他に見せ評価を得る・・・・・
そのことは決して悪いことではないが、
こと身体に良いかどうかで言えば
どれも、身体のどこかに無理をさせているじゃないかと思う。
武術も太極拳も、
他と争うことなく、他の評価を気にすることなく
自分の身体の内を見つめていけば良いのではないかと思う。
自分は!であるが。。。











